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金沢地方裁判所七尾支部 昭和43年(わ)6号 判決

被告人 森正次

主文

被告人は無罪。

理由

一、本件公訴事実は「被告人は、富来町役場の職員であつたが、昭和四〇年二月一〇日午後一一時三〇分過頃勤務先の同役場所有のマツダ二トンダンプカー(石四た〇三-五三号)を運転し、同町広地の自宅へ帰る途中、同町地頭町ハの一六五柏谷書店こと柏谷貞治方前附近路上に至つた際、折柄酒に酔つて同所を通行中の市川健次(当時二五年)に出会い、同人に車をとめられ、助手席に勝手に乗車され、しかも同人に強要されて進路を変更し、翌二月一一日午前零時前後頃同町字八幡ラの部一甲の一番地先附近路上に至つたが、その際それまで助手席にいた右市川が自分に車を運転させろと云いだし、ハンドルを取ろうとしたので、やむなくその場に停車し、車から逃げ出すため車のキーを外したところ、却つて同人が車内助手席に置いてあつた被告人所有の刃渡り約一五糎の短刀を取りあげたので、これを奪い取り、直ちに車外に飛び降りようとした際、再び同人から車内助手席に置いてあつたジヤッキ棒で腰部及び後頭部を各一回殴打されたことに憤慨し、たまたま前記の如く右市川から取りあげた前記短刀を持つていたところより、同所で殺意をもつて該短刀で同人の前胸部を二回にわたつて突き刺し、よって間もなく同所路上で同人を心臓に達する前胸部右側の刺創により死亡するに至らしめたものである。」というものである。

二、よつて審究するに、〈証拠省略〉を総合すると、

(一)  被告人は、昭和三九年九月頃から石川県羽咋郡富来町役場に勤務し、富来町所有のダンプカーの運転に従事していたものであるところ、昭和四〇年二月一〇日午後四時過頃富来町貝田部落でのバラス(道路敷用小砂利)等の運搬作業を終えて富来町所有のマツダDVA一二型六二年式小型貨物自動車(通称マツダD二〇〇〇ダンプカー。以下ダンプカーと略称する。)(当時の登録番号石四た〇三-五三号)を運転して富来町地頭町ハの二〇六番地富来町役場へ帰る途中、富来町領家ハの五三番地蔵谷自動車整備工場へ立寄り、予て同工場に修理のため預けてあつた被告人所有の自動車内から、翌日に予定していた同県七尾市内でのヒユーム管積載作業の際使用する目的で刃渡り約一五センチメートルの短刀一本を取り出し、同日午後四時三〇分頃右役場に帰着したが、右短刀は同車備付けのジヤツキ棒一本(前記昭和四三年押第二号の一鉄管)とともに右ダンプカーの運転助手席のシート上に置いておいたこと

(二)  被告人は、同日午後五時過頃から七時頃まで右役場産業建設課の部屋で同僚の水岡久夫らと飲酒し、更に同人らと共に附近のバーや飲み屋に赴いて午後一一時二〇分頃まで飲酒した後、午後一一時三〇分頃右役場中庭に駐車してあつた右ダンプカーを運転して帰途についたが富来町地頭町ハの一六八番地北陸鉄道株式会社七尾自動車区富来支所(通称富来駅)前附近を走行中、一五メートル位前方の柏谷書店こと柏谷貞治方前附近路上を酔余千鳥足で同方向に歩行中の市川健次(当時二五年)(以下、被害者という。)を発見したこと

(三)  被害者は、同日午後五時三〇分頃稼業の大工仕事を終えてから富来町七海一の三四番地浦野初太郎方で日本酒(冷酒)約六合を飲んだ後、知人の同町七海一の二五の一番地屋敷はる枝方および富来町地頭町七の三二番地寺岡一夫方へそれぞれ立ち寄つたうえ、午後九時四〇分頃から同町地頭町ハの一七二番地料亭「草月」こと磯信方で約一時間程もかけて日本酒約一合を飲み、更に午後一〇時五〇分頃から同町地頭町ハの一九四番地バー「ナポリ」でビール一本と洋酒をコツプ半分位飲んだが、その頃には足許も定まらず店内で小用を足そうとする等泥酔状態に陥つていたので、午後一一時二〇分過頃右「ナポリ」のバーテン林弥栄が腕を組む様にして店外へ連れ出し一緒に同町地頭町ハの一六七の二番地料亭旅館「湖月」前まで来た時、被害者は突然両手を拡げて道路の真中に飛び出し、折柄同所を通りかかつた長原庄一郎の運転する富来タクシーの乗用車の前に立ちはだかつたので、林弥栄は被害者の腕を引張つてようやくにして道をあけさせ、同所で被害者と別れたこと

(四)  被告人は被害者を発見するやハンドルを数回左右に操作しこれを避けて通過しようとしたが、被告人のダンプカーに気付いた被害者は振り返るや両手を拡げて左右にふらつきながらその前に立ちはだかり停車させようとして来たので、被告人はやむなく右柏谷貞治方前附近で停車したところ、被害者は拳で右ダンプカー助手席窓ガラスや助手席側ドアーを二、三回叩いたうえそのドアーを自から開けて強引に乗込んで来て、被告人に対し「西海へ乗せて行け。」と言つたが、被告人は自宅と方向が違う旨断つて下車を促しながらゆつくりと発進させ、二〇メートル位先の右柏谷貞治方北側の交差点に差しかかつたところ、被害者はこれに応じようとせずやにわに両手をハンドルにかけて無理矢理左折させ、富来町里本江を経て同町内の通称西海(旧西海村・現同町字風戸・風無・千浦・久喜一円を指す。)へ至る国道に右ダンプカーを進入させてしまつたので、被告人はやむなく被害者を右西海まで送り届けることにし、「富来大橋」を渡り富来町字給分ハの二の四番地桶正藤方前附近に至つたが、この間時折被害者がハンドルに手を掛けようとして身体を被告人に絡みつけてきたので時速約二〇キロメートルの低速度で走行せざるを得なかつたこと

(五)  右桶正藤方前附近に至つた際、被害者は今度は「八幡へ送れ。」と言い出し、同所から八〇メートル位走行して三本松呉服店前の前記国道と富来町字八幡へ通ずる町道との三叉路に差しかかると、「こつちへ回れ。」と言いながらハンドルに手を掛けて右に切りダンプカーを右町道に進入させてしまつたので、被告人は致し方なく被害者を右八幡へ送つてやることにして富来町字里本江五四の七番地池端竜雄方前を経て同町里本江三二の二九番地広覚寺前附近まで走行し来つて停車し「八幡の何処や。」と尋ねたが、被害者は「行けばわかる。」と答えるのみで埓があかなかつたこと

(六)  そこで被告人は更に九〇〇メートル位走行して富来町字八幡三の一四七番地浜坂徳蔵方前十字路に至つて停車し「八幡へ来たぞ。」と告げたところ、被害者は尚も下車しようとせず却つて「お前は何処や。」と尋ね返してきたので、被害者に自宅までついて来られるのを恐れた被告人が「七尾へ行く途中や。」と答えると、被害者は「わしも行く。連れて行け。」と言い出し下車する気配をいささかも示めさなかつたので、思案に余つた被告人は、被害者が乗り込んできた前記地頭町辺まで連れていつて下車させてしまおうと考え、右十字路を右折して通称八幡道の町道に進入し「一体、お前は何処の者やい。」と尋ねたところ、被害者が「俺は七尾の和倉屋金物店の若い衆やわい。」と答えたので、被告人は被害者の言動から察して七尾のやくざだと思い不安に駈られつつ更に二〇〇メートル位走行して翌二月一一日午前零時頃富来町字八幡ラの部一甲の一番地先右八幡道上に至つたところ、被害者は「車をよこせ。」と言いながら左手をハンドルに掛け右手で脇腹を突きあげるようにして被告人を押し退け自から運転しようとしてきたので、被告人は走行し続けることに危険を感じてその場に停車するに至つたこと

(七)  すると被害者は再び「車をよこせ。」と言いながら右肘で被告人を押し退けようとしたり脇腹を突きあげたり等したうえ、左手でハンドルを掴んでなおも自から運転しようとするので、ダンプカーを奪われる危険を感じた被告人はひと先づ車から逃げ出そうと考え、左肘で被害者を押し返しながら右手でエンジンキーを抜き取つたところ、被害者が助手席シート上にあつた前記短刀を左手に握つたのが目に映ったので、被告人は突嗟に右手で被害者の左手を押えつけ、左手で右短刀をもぎ取ると、被害者は今度は助手席シート上にあつた前記ジヤツキ棒を握ってやにわに被告人の腰部を一回殴打したが、被告人は即座に運転席側ドアーから車外へ飛び出したところ、着地するかしないかのうちに更に被害者から右ジヤツキ棒で後頭部を一回殴打されたので、後頭部に強い衝撃を感じた被告人は瞬間反射的に後を振り返えると、被害者はなおも右ジヤツキ棒を振りあげ被告人を追つて来ようとしてすでに運転席側のステツプ台に足をかけ前傾姿勢で降車しようとしているので、身の危険を感じた被告人は左手に持つていた右短刀を右手にするや、突嗟に被害者の前胸部をその懐に飛び込むようにして素早く一回突き刺したが、被害者はひるむ気配もみせず下車し、なおも右ジヤツキ棒を振りあげて一、二歩と迫つて来ようとするので、次の瞬間被告人は右短刀で更にその前胸部を一回突き刺したところ、ようやく被害者はよろめきながら二、三歩後退して路上に腰を落したので、被告人は直ちに右ダンプカーを運転してその場から逃げ去つたこと

(八)  被害者は右前胸部第四肋骨下縁部に胸廓や右肺上葉内側端部等を貫通し心臓右心房前壁を切破する刺創および左前胸部第二肋骨下縁部に刺創各一個を受けた結果、右前胸部刺創により間もなく右八幡道上において死亡するに至つたこと

等の各事実を認めることができる。

なお、被害者の左右前胸部各刺創の生成時期の先後について検討するに、前掲井上剛の尋問調書中には右前胸部の刺創は間もなく死ぬような重篤なものであるから左前胸部のものが最初で右前胸部のものが後と推定するのが妥当である旨の供述記載があるが、右前胸部の刺創は心臓右心房壁に長さ約三センチメートルの直線状の鋭利な破綻を伴つているものの左右各心室および心隔壁には格別の異常が認められず(前掲鑑定書)、心臓部受傷後の被害者の行動能力については「心臓の刺創においては多様であり、小さい刺創口の場合には相当長時間行為能力を有している。一般に左心室より右心室の刺創は予後は不良である。心隔壁の傷害は危険である。二~三・五センチメートル以上の傷害を受けた例で行為能力の認められる例はない。心房の傷害は予後は割合良好であると信ぜられている。」(上野正吉著「新法医学」六九頁。)のであり、一般的に言つて法医学上「心臓が刺されて出血した場合でも尚一・二間歩いて加害者に反撃を加えようとする位の動作がとれるものである。」(同氏著「犯罪捜査のための法医学」五六頁。)ことが認められており、現に左胸下部から心臓、肝臓を切破して背部に至る貫通刺創を負いながら約四七メートル駆けていた事例があること(和歌山地裁昭和三四年七月二八日判決下級裁判所刑事裁判例集第八巻第七号一、〇〇〇(六〇)頁参照。)、本件被害者も受創後相当距離を移動した形跡が認められること(前掲昭和四〇年二月一六日付実況見分調書)等を考えると、右供述記載はたやすく採用し難く、却つて、被害者の受けた各刺創の部位・程度(とくに刺創の深さ)は前示認定事実のとおりであること、被告人は被害者に対しまずその腹か腰あるいは足の辺りを肘の高さから水平に短刀を突き出して一回刺し、引続いてその胸か脇腹を一回刺した旨認識していること(前掲被告人の各自白特に検察官に対する昭和四三年二月一〇日付供述調書。)、加えて本件ダンプカーのステツプ台の高さが四三センチメートルであつて(前掲同年二月一九日付実況見分調書)、被害者の身長は一六六・五センチメートルで、被告人の身長は一六三・五センチメートルであること(前掲鑑定書、被告人の当公判廷における供述)等を合わせ考えると、被告人の第一回目の所為により右前胸部の剌創を生成したものと認め得る余地があり、一方、被害者が着用していた青色アノラツク一着(昭和四三年押第二号の一五)、水色毛系セーター一着(同号の一〇)、黒色毛糸セーター一着(同号の一一)、茶色ラシヤジヤンバー一着(同号の一二)、白メリヤス長袖シヤツ一枚(同号の六)、白メリヤス半袖シツヤ一枚(同号の五)の各破損部位及び破損状況を詳細に検し、左前胸部の刺創は胸廓の外面に沿つて側方位に著しく傾斜した創洞を形成していること(前掲鑑定書)に照らすと、被害者が右ダンプカーのステツプ台から降りようとした際の前傾姿勢の如何によつては、左前胸部の刺創が被告人の第一回目の所為によつて生成したものと認め得べき余地もにわかに否定し難く、結局、被害者の左右前胸部の各刺創の生成時期の先後は証拠上いずれとも決し難いといわざるを得ない(しかしこれが本件正当防衛の成否に影響を及ぼさないと認められることについては後述する。)。

三、そこで、本件につき正当防衛の要件の存否を判断する。

(一)  先づ「急迫不正の侵害」の存否を考えるに、被害者が被告人に対し長さ五四・五センチメートル、外直径二・一センチメートル、内直径一・六五センチメートルのかなりの重量を有する鉄製ジャツキ棒で腰部および後頭部を各一回殴打し、引続いて右ジヤツキ棒を振りあげて殴りかかろうとした所為は、前示認定事実の如き被害者の被告人に対する攻撃の経緯、攻撃に用いた凶器の性状及び攻撃の態様等から見て、被告人の生命に対する危険を伴う行為であつたと認められるのであつて、被告人の司法警察員及び検察官や当公判廷における「殺されるのではないかと思つた。」という供述は首肯し得るものというべく、正しくこれは被告人の生命に対する高度な急迫不正の侵害に該るものと解される。

(二)  次に、被告人は「防衛の意思」をもつて本件所為に出たものであるかどうかを考える。

ところで、被告人は本件所為につき確定殺意は勿論のこと未必の殺意をも否定するのでこの点につき検討するに、被告人の司法警察員及び検察官に対する供述調書によつても未必の殺意さえ認める趣旨の供述記載もないことや、被告人の攻撃行為の回数及び態様等に関する後記認定の如き事情から見て、被告人に確定殺意があつたものとは到底認められないが、被告人が本件所為に及んだ際の心情中には憤激の情が入り混つていたことは後記認定のとおりであり、また被告人は自己の生命の危険を感じて突嗟に本件所為に及んだものであることも前示認定事実のとおりであつて、これに本件短刀の性状及び被害者に加えた傷害の部位に関する被告人の認識等を合わせ考えると、被告人の弁解にもかかわらず、被告人に少くともいわゆる未必の殺意があつたことは認めざるを得ない。しかしながら、たとえ未必の殺意があつたにしても、その所為が憤激の余り専ら攻撃の意思でなされたものでなく、防衛のため已むを得ずなされたものである限り、正当防衛の成立を妨げるものではないこと勿論である。

そこで被告人が本件所為に出た際の意思を検討するに、被告人は、当公判廷において「相手はかぶさつて頭の上まできているので逃げる余裕がなくて、相手にぶつかるのが私をまもる力のすべてであつたのです。」「そんなこと(刃物で相手を刺せば死ぬかもしれぬということ)を考える余裕はありませんでした。」「(相手を殺す気は)全然ありません。いためてやろうと云う気もありませんでした。」と供述し、検察官および司法警察員に対しては「車からおりたとたんガンと一発後ろ頭をやられて逃げる気持どころでなくこのままやられてしまつて家へ帰れんのではないかという気持が頭にひらめきました。頭がガンガンするし、もうやられて駄目になるのではないか、と思つた。」「車から出ようとしているその恰好が両手を高く上にあげているように感じたので叩かれた直後だしまたその棒でやられると思つたのです。それと同時に私の身体が前にも云つたように相手のその男に体当りして行つたのです。」(司法警察員に対する昭和四三年二月一四日付供述調書)「二回目に突いたのは私が一回目突いた後も相手の男がひるみもせず車から降りて来て手に持つているジヤツキの棒を振り上げて私に殴り掛つてくる様な格好をしたので又やられてはいけないと云う気が先に立ち夢中で突いたのです。」(検察官に対する同年二月二八日付供述調書)と述べているのであつて、被告人が自己保全の本能に基づき自己の生命を防衛する意思をもつて衝動的に本件所為に及んだことは明らかであり、このことは前示認定事実の如き被害者の被告人に対する攻撃の経緯及び態様、被告人の加害行為に至るまでの状況等に照しても容易に首肯し得るところである。

もつとも、被告人が極力強調するようにただ単に自己の生命に対する急迫不正の侵害に対し防衛する意思のみであつたかというに、被告人の心情中には、前示認定事実の如き被害者の当初からの余りにも理不尽かつ執ような行為に対し忍耐に忍耐を重ねてきたところがジヤツキ棒で後頭部を殴打されるに及んで遂に押え切れなくなつた憤激の情も入り混つていたことは、被告人の司法警察員に対する昭和四三年二月六日付供述調書(記録二六三二丁)中の「私もその男のやり方にもう腹が立つて仕舞い此の野郎と思い貴様何処のものやとどなりつけ」たとの供述記載に照しても否定し難いところであるが、前示認定事実のとおり被告人は被害者の攻撃が止むや第三の攻撃行為に出ることなく即座にその場から逃げ去つたこと、被害者が左右前胸部に受けた刺創はいずれもかなり深いものではあるが、前掲井上剛の尋問調書中には「刺創ですから、ある程度の力であれば、いわばそれ以上の思いきりでなかろうがあるいはそれより少し弱かろうが割合に抵抗なく刺されますんです。力の入れ具合というのはあんまり傷からは言いにくい刃物なんです。」との供述記載があり、被告人の短刀を突き出した力と被害者の前進力とが相乗して刺創を深めたものと認める余地が多分にあること、加えて被告人は当公判廷において「本当に殺されると思つたので癪にさわると云うことはこえてしまつていました。」と訴え、検察官に対する同年二月二八日付供述調書中には「内心少しは癪にさわつていた事は確かですが、しかしジヤツキの棒で頭の後ろの処を殴られてからは脳震蕩を起こした様な状況になつてしまつたためその癪にさわつていたという気持は何処かへ吹飛んでしまい、相手にやられたと云う事で頭が一杯になつてしまい、それで無我夢中で短刀で相手に対し突いたのであり、特に癪にさわつたから突いたと云う様な事はありません。」との供述記載があり、司法警察員に対する同年二月六日付供述調書(記録二六三六丁以下)中にも同趣旨の供述記載が認められること等を合わせ考えると、右憤激の情は防衛意思を凌駕し積極的な攻撃意思を有するに至らしめる程度のものではなかつたと云うべく、前記認定の如き自己の生命に対する高度な急迫不正の侵害に迫られた被告人にこの程度の憤激の情が併存したからといつて防衛意思の存在を否定する理由とはなし得ないと考える次第である。

(三)  次に被告人の本件所為が「已むを得ざるに出た」ものであるかどうかを考えるに、以上において詳細に検討を加えたとおり、被害者の攻撃は被告人の生命に対する高度かつ切迫した侵害の危険性を有するものであつて、かかる攻撃にさらされた被告人が自己の生命を防衛するための行為をなし得べきであつたことは勿論であつて、被告人が自己の生命を防衛するための所為に出たこと自体は至極当然であつたと思われるが、本件当時被告人は相当量飲酒していたものの心神の状態はほぼ正常であつたのに対し、被害者は被告人も認識していた如く泥酔状態にあつたこと、また被告人は被害者から短刀を容易に取りあげているのに逃避あるいはジヤツキ棒を取りあげようと試みることなく直ちに本件所為に及んでいること、さらに被告人のいう脳震蕩症状が前示認定事実によつて窺える程度のものであつたこと等の事情に照すと、被告人の本件所為が果たしていわゆる相当性の範囲を逸脱しないものであるかどうかが問題となる。そこでこの点につき検討するに、被告人はジヤツキ棒による後頭部打撃の心身への影響について当公判廷で「精神的にはやられてしまつたという気持はあとまでずつと私(を)離れなかつたわけです。脳震蕩そのものは一時(的で)あるかもしれんけれども、それによつて受けた恐ろしさということ、それによつてやられてしまつたという気持はあとまでずつと続きました。」と供述しているが、被告人のいう脳震蕩が医学上の所見にいうとそれとは認められないが、本件ジヤツキ棒の性状、被害部位及び被告人がその治療に一カ月余を費やしていることから見て、これが被告人に対し相当強度な衝撃を与えたであろうことは容易に推認し得るところであり、右供述は概ね真相に合致するものとして是認しうべく、従つていきなり後頭部にかかる衝撃を受け驚愕・狼狽したであろう被告人が、更に右ジヤツキ棒を振り上げて襲つて来ようとする被害者の行動能力を自己の行動能力と彼比勘案して逃避あるいはジヤツキ棒を取りあげる行為に出ることは至難のわざと言うべく、被告人の検察官に対する昭和四三年二月二八日付供述調書中の「被害者からジヤツキ棒で後頭部を殴打された際、脳震蕩を起したのでジヤツキ棒を取り上げることは思いも及ばなかつた。」旨の供述記載はこの間の事情をよく伝えるものであり、また被告人が短刀を被害者から取りあげ得たのは前示認定事実のとおりいわば先制的に行動に出て、しかも被害者の行動が制約された運転台内でのことであつたからに外ならないものと推測されるのであつて、これと著るしく異つた前記の如き状況下でジヤツキ棒を容易に取りあげ得たとは到底考えられず、更に本件現場附近には人家がなく(前掲昭和四〇年二月一六日付実況見分調書)かつ深夜であつて他に救助を期待し得ない状況にあつたこと等に照らすと、被告人が逃避その他の行為に出ることなくたまたま被害者から取りあげ手にしていた短刀で突嗟に本件所為に出たことはまことに已むを得ない行為であつたと言わざるを得ないので、相当性の範囲を逸脱しないものと考える(なお、前記認定の如く、被害者の受傷の先後は断定し難いが、致命傷となつた右前胸部の刺創が第一回目の所為により生じたものであれば、被告人の本件所為を正当防衛行為と認めることはより容易になるものと解される。)。

結局、以上の認定によれば、被告人の本件所為は被害者の生命に対する急迫不正の侵害に対しこれを防衛するため己むを得ずなした相当の行為であつて、刑法三六条一項の正当防衛行為に該当し罪とならないから、刑事訴訟法三三六条前段を適用して被告人に対し無罪の言渡をすることとする。

よつて主文のとおり判決する。

(裁判官 田中武一 寺本栄一 川原誠)

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